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2005年 01月 15日

韓国滞在記-1

もう十年以上前の話になりますが、私が韓国に行ったときのことを何回かに分けて書きたいと思います。

韓国に行った時期は年末で、向こうで新年を迎え、約一週間滞在していました。
目的は、父の兄弟が勢ぞろいするという法事に出席するのと、父が生まれ育った田舎で先祖のお墓参りをすることでした。
滞在中はずっと父の親戚の家を泊まり歩き、観光といえばソウルでちょっとしたくらいです。

当時の韓国は、ソウルの中心街は新宿のような雰囲気があり、地方都市の中心部は日本の繁華街とそれほど変わらない様子でした。
ただ、それ以外の郊外などは、10年20年くらい前の日本といった印象を受けました。

まず食事について。
今、韓国料理というと焼肉とかピビンバとか結構一般的になってますが、滞在中に美味しいと感じたものはあまりなかったです。
一般家庭の普通の家庭料理ばかりで、日本の味付けに慣れている私の口には合わなかったですね。
たしかに、キムチはどこで食べても日本のものよりも美味しかったですけどね。
そんな中、父の田舎で食べた食事だけは、とびっきり美味しかった~。
特別変わった料理ではなく、白米とキムチと野菜と魚くらいなんですが・・・これが感動するくらい美味しかったんです。
おそらく、山と海に囲まれた村だったから、全て自給自足で地元の天然モノはかりだったからじゃないかと思います。
他には何もない、「ド」が付くほどの田舎でしたけど、あれだけ美味しいものを毎日食べられるというのは、物凄く幸せなことだと思いました。

食事といえば、法事では食べきれないほど大量の料理がでました。
韓国では、お客様に対しては食べきれない料理で迎えるのが作法のようです。
万が一にも料理が食べつくされるという事は「あり得ない話」で、韓国人としてのプライドにかけてもあってはならないことのはずです。
良く言えば心意気、悪く言えば見栄と言えるのではないでしょうか。

心意気・見栄に関しては、父は会う親類縁者に対して、漏れなく全員にお金か品物を渡していました。
一人に渡す金額は大したコトないと思うんですけど、必ず幾ばくかのお札を握らせ、子供には玩具なども与えていました。
当時の父は既に働いておらず、安いアパートで母と暮らし、裕福とは言えない生活をしていました。
それでも、韓国に帰る日を楽しみにしてコツコツとお金を貯めていたようです。
私が小学生の頃なんか、父が韓国に帰るからというので、母から「おまえもお父さんに何か」と言われて、泣く泣く私のチョロQとかシャーペンを父に渡し、それを親類へのお土産として韓国に持って行ったことがありました。
子供のものを奪うくらいなら新しいものを買えばいいだろうにと思いましたけど、あの時、私は初めて不条理というものを感じました。(笑)
どうして父がそんなことをしたのかというと、これも韓国人としてのプライドの高さが成せるワザではないかと思います。
たとえ自分がヒモジイ食事しか出来なくても、親類の前では格好をつけておきたいという気持ち、そんな父の心境は理解できても感覚として私には分からなかった。
先ほどの客人に対する食事といい、このへんに韓国人として引くことの出来ない精神性の何かがあるような気がします。
だから、韓国人と接していて、相手から過剰な「何か」を感じたとしたら、それは韓国人らしさだと捉えて、そのプライドを傷つけないように「上手くノッてあげる」のが優しさだと思います。
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by k_milliard | 2005-01-15 12:31 | 自分のコト
2005年 01月 01日

新年の抱負

あけまして、おめでとうございます。

このブログを始めて、最初の新年を迎えました。
飽き性の自分がどれだけ続けられるのかと思ってましたが(笑)、なんとか止めずにここまでこれました。
始めた当初は、ニュース記事に対してつっこみを入れるのを中心に考えていましたが、今ではあまりとらわれずにやってます。
特に、自分が元在日の帰化人であることを明かそうなどとは露にも思っていなかったのに(笑)、だんだん朝鮮関係ネタへのツッコミが多くなってしまいました。
一日のヒット数は、平均130~150くらいになってます。
私の感覚としては、これくらいで十分です。
これが1000とかになると怖いので(笑)、このまま、私の記事を楽しんでもらえるよう励んでいきたいと思います。
私は一応、大阪に住んでいる人間ですので、基本姿勢として楽しんでもらえるモノをこれからも書いていきたいです。
出来れば、皆さんから笑いを取りたいですねぇ。

笑いと言えば、私の夢というか、こんな人間になりたいなぁというのが昔からありまして、それは、出来る限りたくさんの人を笑わせたいということです。
理由は、人間って長く生きていれば楽しいこともあれば悲しいことも経験していくじゃないですか。
楽しいことばかりだったらどれだけ幸せかしれませんが、残念ながら悲しいことも経験しなくちゃいけない。
それは当然のことでもあり、宿命のようなものかもしれません。
私は、そんな悲しい状態の人がいたなら、クスッとでもいいから笑ってもらい、その悲しみを一瞬でも忘れられる、そんなことを表現してみたいと思ってきました。
まぁ、現実の私といえば、お笑い芸人でもなければTVのコメンテイターでもなくラジオのDJでもありません。
このブログでそれが実現できるとは思っていませんが、そのエッセンスだけでもひょっこり顔を出させてあげたいなぁ、などと思っています。

というわけで、これからも皆さんに楽しんでもらえることを考えながら記事を書いていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
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by k_milliard | 2005-01-01 03:44 | 自分のコト
2004年 11月 24日

エセにご注意を

久しぶりに長文になりますが、ご了承を。

私はワケあって、11月だけ土日祝に警備のバイトをしています。
ワケって、家計の足しにしたいだけですが・・・(苦笑

警備の現場は、とある紅葉スポットで、仕事の内容は臨時駐車スペースでの交通整理です。
もう少し詳しく説明すると、紅葉スポットから少し離れた場所に駐車場があるのですが、駐車できる台数も限られているため、そこから更に離れた路上を臨時の駐車スペースとして利用することになっています。
駐車場から臨時駐車スペースの間は、地形の問題から駐車禁止になっています。

で、私はその臨時駐車スペースの開始点に立ち、駐車禁止区域に駐車しようとする車に対して臨時駐車スペースに駐車するように促すのが私の主な仕事の内容です。
話の前提はここまで。

まず、この仕事の感想は、警備の仕事自体が初めてということもあり、今までに無い経験が出来てとても勉強になってます。
特に、駐車禁止区域なのに「自分だけ特別に駐車させろ」という観光客の車に移動してもらうときに、実にいろんなタイプの人がいて面白いです。
横柄な言葉使いの人はたくさんいました。
印象に残っているのは、一見フィリピン人かと見紛うような顔にサングラスをかけた暴力のプロの方々が乗る高級車とか、ガラの悪いヒップホップ系の若者達が乗るボックスカー。
しかし、その何れもキッパリ断って移動してもらっていたので、私は駐車禁止区域に車を1台も駐車させたことはありませんでした・・・今日までは。

私としては屈辱だったのですが、今日(23日)、初めて駐車禁止区域に車を駐車させてしまいました。
まず、白のハイエースワゴンが駐車禁止区域に停車し、他の車と同様、
「ここに駐車させて欲しい」と訴えてきました。
訴えているのは運転席の30代の男性。
私はそこが駐車禁止であることを告げると、
「身障者がいるから、あんまり歩かせたくないねん」と言いました。
確かに、その場所から紅葉スポットまで歩けば10分以上もかかるので、どの観光客も出来るだけ紅葉スポットに近い場所に駐車させようとします。
ですが、他の車にも言っているように断っていると、
「おまえ名前なんて言うねん」と、少し威圧的にでてきました。
後部座席には子供と思しき気配が。
おそらく身障者と言うのは、この男性の子供のことでしょう。
私は困り、「許可証(身障者のために発行される駐車禁止区域でも駐車できる許可証のこと)は持ってるんでしょうね?」と訊くと、
「あるある」と言いながら許可証と思われる何枚かのカードを提示してきました。
しかし、どうも以前見た許可証とは違うような気がするけど、自信がない。
私は、先ほどの威圧的な態度といいこの許可証といい、ちょっとコイツ怪しいな、とは思いました。
ですが、もしここで断ったがためにあとでトラブルにでもなったら嫌だなという気持ちが先立ち、渋々この車の駐車を許可してしまいました。
そんなやり取りをしていたせいもあり、路上はちょっとした渋滞になっていたので私は交通整理をしていると、駐車を済ませた彼ら親子の姿はもう見えなくなっていました。
身障者がいるという割りに、居なくなるのが早いなー、と。

しばらくして、私はペアを組んでいたバイト仲間のおじさんに、こういうワケで車を駐車させてしまったことを説明しました。
すると、そのおじさんの奥さんは少し体の具合が悪いらしく、本物の許可証を持っているというので、早速その車のダッシュボードに置かれてあった許可証と思われるモノを見てもらうと、
「あ、これ偽物」とあっさり偽物と判明。
いやらしいのは、「許可証」と書かれた部分だけ見えるように上手くカードを重ねて置いてあるので、本物を知らない人が見たら本物かどうか分からないようになっていたんです。
次に、警備本部に連絡して社員の方に来てもらい事情を説明すると、こうやって身障者を騙って違法駐車する人がたまにいるらしい、とのこと。
「この車もきっとそうだけど、しょうがないから無視しておいて」と言われました。
で、私の無知がいけなかったのだが、例え本物の許可証であったとしても観光地では使えないと言うことでした。
つまり、自宅の前とか普段利用するお店の前とか、生活するのに必要な決められた場所でしか許可証は使えないのです。
冷静に考えればそうだろうなとは思いましたけど、そこまでの判断が出来なかった自分が悔しい。

その後、私はその親子が戻ってくるのを見てやろうと思いました。
その子供が本当に身障者なのかを確かめなくては、私の気が済まなかったのです。
駐車から約2時間後。
紅葉を楽しむにはタップリな時間の後、その親子は戻ってきました。
父親の横にいたのは、急な上り坂をしっかり自分の足で歩く小学4年生くらいの女の子でした。
私は警備本部の社員の指示を守り無視を決め込んでいましたが、いかんせん怒りで震える私のキツイ視線が気になるのか、親子は二人とも私の視線を外し、そそくさと車に乗って行ってしまいました。

キッパリ断れず、しかも偽の許可証だと見破れなかった自分が悔しい。
身障者についての知識が乏しかったことも恥ずかしい。
しかし、この言いようの無い怒りをどう表現したらいいのか。

自分の子供をダシにして身障者を騙り、特別扱いを受けようとするその卑しい根性。
汚い言葉を使うのは本意ではないし軍曹様の足元には到底及ばないが、今回はあえて言わせて欲しい。

このクソ野郎!

私には経験則から得た「善人面の一般人こそ、やるコトがエゲつない」という持論があります。
今回、そのことを確信しましたね、ホント。
だって、暴力のプロだって筋の通った説明をしたらちゃんと移動してくれましたもん。
よくあんな汚い手口を子供の前でやれるよな。
自分の子供がどう思うのか考えたことあるのか、あの父親は。
それに、偽の身障者を騙るなんて、最低だぞ。
弱者を盾に利用したのが何よりも許せん。
正に、「弱者を盾にすれば嫌とは言えまい」という汚い作戦に私はまんまとハメられたワケか。
ペアを組んだおじさんがこう言ってましたよ。
「本当の身障者ならこんなことしませんよ。ちゃんと決められた場所に停めますって」
本当の身障者のことまで汚しやがって。
もう、なんて言っていいのか分からんわっ!

私のこの嫌な気持ち、しばらく治まりそうにないですが、ここにでも書いて発散しないとモタなかったので・・・
最後まで読んで下さった皆様、私のこの経験が何かの役に立てたら幸いです。

世の中って汚い奴がいるんだな~・・・(グスッ

長々と駄文、失礼しました。
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by k_milliard | 2004-11-24 07:43 | 自分のコト
2004年 09月 07日

血筋という幻影

私は自分の顔に不満は無い。

私の顔はどこからどう見ても朝鮮人の顔をしてる、と最近妻から言われた。
たしかに私の顔には朝鮮人の特徴が現れていると自覚はしていたけど、今まで気にしたことはなかった。

私が嫌いな朝鮮人というのは、押し並べて気性が激しい。
ちょっとしたきっかけですぐキレる。
関西弁で言うと、イラチな性格だ。
これは前から思っていたコトだけど、私も感情的になるとカッとなってすぐ表情にでてしまう悪い癖がある。
この性格が、私が最も嫌っている朝鮮人の血を受け継いでいるような気がして、憂鬱な気持ちになるコトがある。
自分では精神的に日本人のつもりであっても、血統が人間を作っているんじゃないか、と思ってしまう。
いやそんなコトはない、とすぐに打ち消すんだけれど、いつの日か何かのきっかけで自分でも知らない本性が表出するんじゃないだろうか、という不安を感じる。
今までの自分が保てるのであれば大丈夫だと思うけれど、考えすぎだろうか・・・

男が女になりたい、女が男になりたい、肉体的な性と内面の性が不一致な人が外科的に体を変えて一致させようとする。
その気持ちが少し、私にも分かったような気がした。
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by k_milliard | 2004-09-07 10:59 | 自分のコト
2004年 07月 04日

父のコト

「在日・強制連行の神話」
鄭大均 著:文春新書

80年代から今日にかけて、従軍慰安婦や強制連行の問題は、主に韓国・北朝鮮・中国から政治的駆け引きの材料として扱われてきました。
この本では、強制連行についてその発生過程を考察し「強制連行あった派」に対する反論を試みています。
ただの言っぱなしではなく、これまで成されてきた「強制連行論」への批判をし、かつ、朝鮮人としてのあり方のようなものも語っています。
また、民団系の青年会が1988年に調査しまとめた在日一世の証言が読めるのがいいです。
強制連行されたとされる当の本人の一世がどのように思っているのか、それを今私たちが知る機会はもうほとんどありません。
あったとしても、ある思惑の元に抽出された意見しか聞けないのではないでしょうか。
後に述べますが、80年代の嵐のような「強制連行論」の中で、私は当時からちょっと懐疑的でした。
今のマスコミは、日本人が朝鮮人をごっそり強制連行したのが事実であるかのように報道し、かつ戦前の日本人の残虐性ばかりが強調されすぎています。
今後、著者の鄭さんのような意見が、特定の言論誌だけでなく一般誌やTVでも語られることを望みます。

強制連行、及び一世のことで私が語れることとして、私の父の話をするのが一番いいと思います。
私は父が年をいってから生まれたので、世代的に私は三世ですが、血の流れでは二世になります。
もう既に父は亡くなっていますが、生前私に語ってくれた話のうち、父が日本に渡航した当時の話をまとめてみます。
長くなりますが、ご了承ください。

父が日本に来たのは、日本が朝鮮に募集をかけた時期で、父はいわゆる「出稼ぎ」で日本に来ました。
父の田舎は貧しく、満足に教育を受けられる状況ではなかったそうです。
父には、もっと学びたいという思いとお金を稼ぎたいという思いがありましたが、それが田舎では難しい。
それに引き換え、当時の日本は朝鮮よりも文明が進んでいて、教育も仕事も日本に行けばなんとかなる、と思っていたようです。
「文明」と聞いて私も大げさなと思いましたが、私は一度だけ父に連れられて父の田舎に行ったことがあり、その超田舎ぶりに驚きました。
電気は通じているものの下水道はなく、倒れかけの家が連なっていて、あるものといえば美しい自然だけ。
これなら父が「文明」という言葉を使い、村を脱出したいと思うのも無理がないと思いました。
父は勉強をしたかったみたいですが、母親に反対されたそうです。
たぶん、父はそんな閉鎖的な村から逃れたかったんだと思います。

母親の反対を押し切り、まさしく村を脱出した父は、釜山から下関に上陸し、敗戦まで九州の炭鉱で働きました。
つまり、少なくとも父に関して言えば、個人の自由意志で日本への渡航を決め、実行しました。
きっと、父のような動機で日本に来た人はたくさんいたのではないでしょうか?
今の日本でも、大学の進学を夢見たり雇用の機会を求めて東京に上京したり、或いはアメリカ等外国に行く人がいます。
それと同じように、当時、同じような動機で朝鮮から日本に渡って来た人がいたんです。

炭鉱での労働は、想像を絶するほど過酷だったようです。
ですが、父は弱音を吐かず逃げることもなく敗戦まで炭鉱で働きました。
炭鉱での重労働もそうですが、父が日本のことを悪く言っているのを私は聞いたことがありません。
それは、現状を肯定的に受け止め、父には父の夢と希望があったからだと思います。
現代の甘っちょろい私とは根性が違う。

父が自慢話のようによく語っていたのが、日本に来て3ヶ月で日本語を覚え、半年で日本人と同じように日本語が話せるようになった、ということでした。
その証拠に、一世の人が日本語を話すときハ行の発音が不自然だったり妙に早口だったりと、いわゆる朝鮮人訛りがあるのが普通ですが、父はナチュラルな日本語を話していました。
それだけ真剣に日本語の習得を実践した証拠だと思います。

炭鉱時代の話で印象的なのは、おそらく事故か空襲だと思いますが、炭鉱で亡くなった人の大量の遺体の搬出を父が率先してやった、という話です。
他の人は誰もやりたがらなかったらしいですが、そりゃそうでしょう。
その時の経験からか、父の口癖は、
「死んだ人間は怖くない。死ねば何もしないから。
 怖いのは、生きている人間だ。」
でした。
戦後、父は人に騙されることが何度かあり、その事も含んでの父のこの言葉。
これは父の実体験からくる強烈なリアリズムであり、大事な教訓でもあります。

で、戦後の父は、故郷に戻らず、そのまま日本で生活する道を選びました。
仕事はずっと土方で、西日本を中心に各地を転々としました。
何年かに一度、日本で稼いだお金と物を持って田舎に帰ることはありましたが、亡くなるまで生活の基盤はずっと日本でした。

このように、私の父は「強制連行」などとは無縁なのを私は小さい頃から知っていました。
だから、80年代に強制連行が問題になったとき、少なくとも自分の親がそうではないので、どうしてあそこまで社会問題となり一方的な言われ方をしないといけなかったのか理解できませんでした。
たしかにそういう人もいたかもしれないけど、この盛り上がりはなんか違うな、と。
そして自分で調べてみると、父のような形で日本に来た人がむしろ多かったんじゃないだろうか。
そう思うようになりましたが、なぜかマスコミではまったく黙殺されている。
最近、言論誌などマイナーなところで、やっとまともな話もできるようになりましたが、まだ一般的ではない。
それは日本にも問題があるし、朝鮮人自身にも大きな問題があります。
それを、これから少しずつでも打破し、日本人に植えつけられた余計な罪悪感を解消できたらな、と思います。
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by k_milliard | 2004-07-04 15:16 | 自分のコト
2004年 06月 29日

反面教師

私は韓国・朝鮮についてそれほど多くのことは知りませんが、それでも今まで経験してきた数少ない体験談が、このブログを読んでいる人のためになるのであれば、書きたいと思います。
当然のことですが、私が書くことは私個人の実体験を元に感じたことなので、それが全てだという気はありませんし、こういう意見もあるんだ、と思って読んでもらえるとありがたいです。

今、

 「在日・強制連行の神話」
  鄭大均
  文春新書

を読んでいます。
これについては、後々書きたいと思います。
興味のある方は是非読んで下さい。

さて、私にも親戚、当然韓国籍の親類がいるのにこんなことを言うのはちょっとためらいがありますが、私は親類が嫌いです。
理由は、言動が暴力的で粗暴な人が多く、典型的な嫌われるタイプの朝鮮人が多いからです。
私が思うに、朝鮮人にもいろいろいて、よく言えば活発な人とおとなしい人に大別できると思います。
活発な人を悪く言えば、乱暴で狡猾な人。
私の親戚には、そのタイプが多いので嫌いなんです。
むこうも私のことなんか相手にしてないので、構わないんですが。
特に酷い人なんか、犯罪者みたいな人もいる。
そう思っていたら、最近、その人は戦後のある時期に服役した事があると聞いて、やっぱりなと思うと同時に、親類の縁を切って欲しいとも思いました。
また、別の親戚は、万引きの常習者であるかのような言動をしたことがあり、当時はにわかに信じがたい話だったけど、あの人ならやりかねない。

もう、この人たちと会うこともないですが、今後も顔を合わせたくないです。
こんな感じで、私には反面教師としては非常に優れた親戚がいまして(笑)、それがいい経験になってます。

かと思えば、一方で、とても温厚な朝鮮人もいます。
割合としては少ないですが、確実にいます。
地域的な事情とか様々な理由があるのでしょうが、詳しくは分かりません。
なので、たまに温厚な朝鮮人を見かけると、とてもホッとします。
日本人が朝鮮人と付き合うのなら、このような人を選りすぐった方が無難でしょう。
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by k_milliard | 2004-06-29 12:59 | 自分のコト
2004年 06月 22日

自分のコト

北朝鮮による拉致事件、昨今の韓国ブームなど、朝鮮に関して思うことがたくさんあります。
しかし、これを今丁寧に文章にするだけの時間があまりないのであえて避けてきました。

ですが、自分の考え、特に朝鮮に関する発言をするにあたって、これはもう避けて通れないし、明らかにしておかないと真意が伝わらないと思うので、今回言っておこうと思います。

私は元韓国籍で、数年前に帰化しています。
出生も教育も日本で、朝鮮語やハングルなんて知りません。
自分の意識としては日本人のつもりです。
というか、気持ちは、日本人以上の日本人になりたい、と思っています。
現在のNHK大河ドラマ「新撰組!」で、香取慎吾君が演じている近藤勇が、
「武士よりも武士らしくなってみせる」
と言っていました。
ええカッコして言わせてもらえれば、その心境に近いです。

今回はここまでにしておきます。
最後にもうひとつだけ言わせてもらえれば、私は朝鮮的なモノが嫌いです。
こう言うと御幣がありますが、誤解して欲しくないのは、朝鮮や朝鮮人の全てが嫌いなのではなく、朝鮮の悪い部分とかそのイメージに重なるモノが嫌いなんです。
たぶん、普通の日本人よりもそのへんの嗅覚は鋭いと思うので、昨今の韓国ブームなども素直には受け入れられないです。

以上、私的な話をしてしまいました。
本当は言わなくてもいいことかもしれませんが、発言する上で必要なことだと思ったし、隠すことでもないので明らかにしました。
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by k_milliard | 2004-06-22 13:32 | 自分のコト