2004年 07月 04日 ( 2 )


2004年 07月 04日

早すぎる評価

近鉄とオリックスの合併問題で、ライブドアが買収の名乗りをあげました。
このライブドアの動きに対して、それはただの売名行為では?との批判の声が聞こえている。

ライブドアの話の前に、近鉄はどうも打つ手が後手後手で、今回のことにしても、身売り話よりも合併ありきで話が進んでいるように思える。
ファンと選手のことを考えれば、身売り話を優先して進めるのが筋だと思うのだが、近鉄とオリックスはそうではないらしい。
おまけに巨人も。
ライブドア側としては、水面下で買収の打診をしていたらしいが、どうも近鉄は相手にしなかったようだ。
それはライブドアが企業としての歴史が浅く、又、社長が若いということと関係しているのかもしれない。
しかし、それが買収の条件とどれほどの関係があるのか理解できない。
たしかに、買収にはライブドアの企業としての評価も必要だろうし、野球に対する誠意のようなものも見極める必要があるだろう。
だが、これはそれ以前の問題として、既成のプロ野球界のおごりというか、古い体質が障壁になっているように思う。
正直な話、私は近鉄ファンではないので、どっちでもいいのだけど、近鉄のファン、選手、又、プロ野球界にとって合併することは好ましくないと思う。
特に、ファンを無視した形で合併話だけが進むのはよくない。

それから、この騒動に関して、ライブドア側の売名行為では?との批判は早計にすぎると思う。
売名と断ずるのは、身売りの可能性があるにも関わらずライブドアが手を引いた後にすべきで、今の段階で言うには失礼だろう。
もし、ライブドアが近鉄を買収し、大阪に新しいチームが発足したとしたら、売名と批判した人はそれが中傷にすぎなかったとして謝罪しなければいけない。

いずれにしても、この時期に売名行為と言うのは、妥当ではないと思う。
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by k_milliard | 2004-07-04 16:04 | 寸評
2004年 07月 04日

父のコト

「在日・強制連行の神話」
鄭大均 著:文春新書

80年代から今日にかけて、従軍慰安婦や強制連行の問題は、主に韓国・北朝鮮・中国から政治的駆け引きの材料として扱われてきました。
この本では、強制連行についてその発生過程を考察し「強制連行あった派」に対する反論を試みています。
ただの言っぱなしではなく、これまで成されてきた「強制連行論」への批判をし、かつ、朝鮮人としてのあり方のようなものも語っています。
また、民団系の青年会が1988年に調査しまとめた在日一世の証言が読めるのがいいです。
強制連行されたとされる当の本人の一世がどのように思っているのか、それを今私たちが知る機会はもうほとんどありません。
あったとしても、ある思惑の元に抽出された意見しか聞けないのではないでしょうか。
後に述べますが、80年代の嵐のような「強制連行論」の中で、私は当時からちょっと懐疑的でした。
今のマスコミは、日本人が朝鮮人をごっそり強制連行したのが事実であるかのように報道し、かつ戦前の日本人の残虐性ばかりが強調されすぎています。
今後、著者の鄭さんのような意見が、特定の言論誌だけでなく一般誌やTVでも語られることを望みます。

強制連行、及び一世のことで私が語れることとして、私の父の話をするのが一番いいと思います。
私は父が年をいってから生まれたので、世代的に私は三世ですが、血の流れでは二世になります。
もう既に父は亡くなっていますが、生前私に語ってくれた話のうち、父が日本に渡航した当時の話をまとめてみます。
長くなりますが、ご了承ください。

父が日本に来たのは、日本が朝鮮に募集をかけた時期で、父はいわゆる「出稼ぎ」で日本に来ました。
父の田舎は貧しく、満足に教育を受けられる状況ではなかったそうです。
父には、もっと学びたいという思いとお金を稼ぎたいという思いがありましたが、それが田舎では難しい。
それに引き換え、当時の日本は朝鮮よりも文明が進んでいて、教育も仕事も日本に行けばなんとかなる、と思っていたようです。
「文明」と聞いて私も大げさなと思いましたが、私は一度だけ父に連れられて父の田舎に行ったことがあり、その超田舎ぶりに驚きました。
電気は通じているものの下水道はなく、倒れかけの家が連なっていて、あるものといえば美しい自然だけ。
これなら父が「文明」という言葉を使い、村を脱出したいと思うのも無理がないと思いました。
父は勉強をしたかったみたいですが、母親に反対されたそうです。
たぶん、父はそんな閉鎖的な村から逃れたかったんだと思います。

母親の反対を押し切り、まさしく村を脱出した父は、釜山から下関に上陸し、敗戦まで九州の炭鉱で働きました。
つまり、少なくとも父に関して言えば、個人の自由意志で日本への渡航を決め、実行しました。
きっと、父のような動機で日本に来た人はたくさんいたのではないでしょうか?
今の日本でも、大学の進学を夢見たり雇用の機会を求めて東京に上京したり、或いはアメリカ等外国に行く人がいます。
それと同じように、当時、同じような動機で朝鮮から日本に渡って来た人がいたんです。

炭鉱での労働は、想像を絶するほど過酷だったようです。
ですが、父は弱音を吐かず逃げることもなく敗戦まで炭鉱で働きました。
炭鉱での重労働もそうですが、父が日本のことを悪く言っているのを私は聞いたことがありません。
それは、現状を肯定的に受け止め、父には父の夢と希望があったからだと思います。
現代の甘っちょろい私とは根性が違う。

父が自慢話のようによく語っていたのが、日本に来て3ヶ月で日本語を覚え、半年で日本人と同じように日本語が話せるようになった、ということでした。
その証拠に、一世の人が日本語を話すときハ行の発音が不自然だったり妙に早口だったりと、いわゆる朝鮮人訛りがあるのが普通ですが、父はナチュラルな日本語を話していました。
それだけ真剣に日本語の習得を実践した証拠だと思います。

炭鉱時代の話で印象的なのは、おそらく事故か空襲だと思いますが、炭鉱で亡くなった人の大量の遺体の搬出を父が率先してやった、という話です。
他の人は誰もやりたがらなかったらしいですが、そりゃそうでしょう。
その時の経験からか、父の口癖は、
「死んだ人間は怖くない。死ねば何もしないから。
 怖いのは、生きている人間だ。」
でした。
戦後、父は人に騙されることが何度かあり、その事も含んでの父のこの言葉。
これは父の実体験からくる強烈なリアリズムであり、大事な教訓でもあります。

で、戦後の父は、故郷に戻らず、そのまま日本で生活する道を選びました。
仕事はずっと土方で、西日本を中心に各地を転々としました。
何年かに一度、日本で稼いだお金と物を持って田舎に帰ることはありましたが、亡くなるまで生活の基盤はずっと日本でした。

このように、私の父は「強制連行」などとは無縁なのを私は小さい頃から知っていました。
だから、80年代に強制連行が問題になったとき、少なくとも自分の親がそうではないので、どうしてあそこまで社会問題となり一方的な言われ方をしないといけなかったのか理解できませんでした。
たしかにそういう人もいたかもしれないけど、この盛り上がりはなんか違うな、と。
そして自分で調べてみると、父のような形で日本に来た人がむしろ多かったんじゃないだろうか。
そう思うようになりましたが、なぜかマスコミではまったく黙殺されている。
最近、言論誌などマイナーなところで、やっとまともな話もできるようになりましたが、まだ一般的ではない。
それは日本にも問題があるし、朝鮮人自身にも大きな問題があります。
それを、これから少しずつでも打破し、日本人に植えつけられた余計な罪悪感を解消できたらな、と思います。
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by k_milliard | 2004-07-04 15:16 | 自分のコト