んなアホな!

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2004年 04月 28日

誰も見てなくても

日本人にとっての倫理観ってなんだろう。
特に今の時代の倫理とは。

なにをもって倫理的に良しとするのか。
身近な具体例で考えてみる。

道でお金を拾ったとする。
50円硬貨や100円硬貨なら、そのまま自分のモノにするかもしれない。
それが千円札一万円札になるとどうだろうか?
拾った財布にお札が一杯。
はたして、それを警察に届けるのか、或いは黙って自分のモノにしてしまうのか。
硬貨だけを拾ったなら自分のモノにしてしまうかもしれないけど、さすがに財布となると警察に届けるだろう。

金額の問題はあるだろう。
いくら以上なら警察に届ける、というライン。
それは個人差があると思うし、状況によっては例え1円でも届けないといけない場合もある。
昔、私が小学校の高学年の頃、一緒に登下校していた低学年の子が50円硬貨を拾ったコトがあった。
もし自分が先に拾っていたら自分のモノにしていたと思うけど、その子がどうしたらいいのか困惑していたので、一緒に交番に行って届けてあげたコトがあった。
こういうコトもあるので一概に言えないけれど、小額であれば警察に届けないのが普通ではないだろうか。
いや、本当は法律として1円であっても届けないと罪になるのかもしれないけど、実際の話、個人によってこの金額のラインというのがあって警察に届ける届けないを決めていると思う。

このトキ、心の葛藤があると思う。
もらっちゃえ!という気持ちと、なんだか後ろめたい罪悪感。
どっちが勝つかで、倫理的な評価が決まるような気がする。
気がする、というのは、自分でも確信をもって断言できないので、ここはこう表現しておく。
で、この心の葛藤の場に、昔の日本人なら「お天道(てんとう)様が見ているから」という意識が存在していた。
存在していた、と断定的に言えるのは、まだ自分の世代というか自分にもこの「お天道様」という考え方が理解できるからだ。
理解というか、これは理屈ではなく体で感じるモノだと思う。
だから、おそらく昔の人ほど、この「お天道様が見ているから」というコトで悪い行いが出来ない、自己抑制が効いていたはずである。
つまりこのケースでいうと、金額の問題ではなく誰かが見ているからでもなく、超越的な存在である「お天道様」に対してどうなんだ、という心の対峙が問題になる。

現代に、こんな「お天道様」なんて言うと笑われてしまうだろうし、古い時代の話だというのも分かっている。
たぶん、この先無くなってしまう運命にあるのだろう。
だけど、日本人の倫理観として考えた場合、この「お天道様が見ているから」というのは優れていたと思う。
これに代わるモラルのようなモノを本当は家庭とか学校教育でちゃんとやらないといけないのだろうけど、それができないから様々な問題が起きているような気がする。

そう考えると、日本はどんどん倫理的に劣った国になっているんじゃないのか?と思うが、どうだろうか。
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by k_milliard | 2004-04-28 11:27 | 寸評


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